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鹿児島地方裁判所 昭和44年(ワ)321号 判決

原告 若林大雄

〈ほか一名〉

右原告両名訴訟代理人弁護士 浅原豊充

原告 松藤フヂ

右訴訟代理人弁護士 重田休助

被告 新川新次郎

右訴訟代理人弁護士 奥江秀一

主文

被告は、原告若林に対し金六一万五、八六八円及びこれに対する昭和四四年八月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を、原告内山に対し金九万七、八四六円及びこれに対する同年同月同日から支払いずみまで年五分の割合による金員を、原告松藤に対し金九二万四〇二五円及びこれに対する同年一〇月九日から支払いずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、(本件事故の発生)

昭和四三年一月一五日午前七時一五分頃鹿児島県日置郡伊集院町字桑畑附近の国道三号線において原告若林運転の車と被告運転の軽四輪貨物自動車とが衝突したことは、当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、右の原告若林運転の車は、原告内山所有の普通乗用自動車であるが、右衝突によってフロントバンパー、エンジンカバーグリル、右ライト等に破損を生じたことが認められ、≪証拠省略≫によれば、原告若林は、前記衝突によって頭部打撲症、むち打症の傷害を負ったことが認められ、≪証拠省略≫によれば、原告松藤は、前記の被告運転の車に同乗していたのであるが、前記衝突によって頭部外傷(脳挫傷を伴う)、両前腕部挫傷、背肩部挫傷、第四、五、六、七、八、九肋骨骨折(左側)、両手挫創、外傷性気胸の傷害を負ったことが認められる。

二、(責任原因)

被告は、原告若林に対する関係では、前記の被告運転の車の保有者であることを認めているから、特に反対の事情が認められない以上、右車の運行供用者であると推認されるし、原告松藤に対する関係では、右車の運行供用者であることを認めている。

そこで、被告に本件事故の発生につき過失があったかどうかをみてみる。

(一)  ≪証拠省略≫によれば、本件事故当日は、雪日和で前夜来の降雪のため本件事故現場附近の道路上には約三センチメートル以上の積雪があったことが認められ、≪証拠省略≫によれば、本件事故現場は、幅員八・一メートルの国道三号線上で伊集院町北中学校の西方約六五〇メートルの地点であるが、同所は川内市方面から鹿児島市方面に向かって内角一二〇度の左カーブをなしており、しかもそのカーブの内側は道路ぎわまで高さ六ないし一一メートルの崖になっており、カーブの外側は道路から一メートル足らず低い田圃になっていて、鹿児島市方面から川内市方面に向かっての見通しは七、八〇メートルはきくが道路中央線から遠ざかるに従いますます視界が開けるのに対し、川内市方面から鹿児島市方面に向かっては道路中央線寄りに車を運行する方が前方確認上便宜な地形になっていること、道路中央線はカーブ個所では道路の真中を通っておらず外側車線が少し幅広くなっており、しかもその外側には若干の余地があることが認められる。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、原告若林運転の車は、本件事故当日午前五時四〇分頃枕崎市を出発し加世田市、吹上町、国鉄伊集院駅前を経て当初は樋脇町市比野経由で宮之城町へ行く予定のところ積雪のため川内市経由で宮之城町へ行くべく国道三号線に出て前記のとおり午前七時一五分頃本件事故現場にさしかかったもので、その間の距離は六七・一キロメートルであるから平均時速約四二キロメートルで走行したことになり、本件事故現場附近は余り人家のないところであることを考慮すれば、積雪があった(もっとも積雪は吹上町以北には見られたにかかわらず原告若林運転の車は前記時刻に本件事故現場にさしかかっている)こと、本件事故現場附近がカーブをなしていることを考慮に入れても、原告若林運転の車は、本件事故現場附近に時速三〇ないし三五キロメートルでさしかかったとみられ、≪証拠省略≫の対比からも知られるように、原告若林運転の車は、道路中央線寄りを進行していたとみられること、一方、被告運転の車は、本件事故現場附近に時速四五キロメートルくらいでさしかかり、道路中央線ぎりぎりのあたりを進行していたこと、そして、原告若林運転の車は、前方七、八〇メートルのところを対向して来る被告運転の車を認めたが、そのままの進路、速度で進行し、前方二〇数メートルのところで道路中央線を割って出て来る被告運転の車を発見、ハンドルを少し右に切ると同時に停車措置をとったが及ばず自己の進路上で衝突し、被告運転の車は、前方二〇数米のところを対向して来る原告若林運転の車を認め直ちに急激にブレーキを踏んだためスリップし車体後部を左へ振りながら道路中央線を越え原告若林運転の車の進路上で衝突したこと、なお、原告若林運転の車も被告運転の車もスノータイヤ、スノーチェーン等のスリップ止めの装置を備えていなかったことが認められる。≪証拠省略≫は、前掲証拠に照らして措信し難く、また、証人永里清、同松島茂人は、被告の車のスリップの跡は川内市から鹿児島市に向かっての道路左側部分にあった旨証言するけれども、同人らがスリップ跡を見た時刻や国道三号線の交通量から考えてそのスリップ跡が被告運転の車のスリップ跡だとは必ずしも断じ難く、その他≪証拠省略≫と対比しても右各証言は採用し難い。他に右認定を左右するに足りる証拠はない(血痕のあった位置や車の片付けられてあった場所は、右認定を左右するに足りる事情とは考えれらない)。

(三)  以上の認定事実によれば、本件事故の発生については、原告若林にも、本件事故現場の地形、被告運転の車を発見した位置、そのときの被告運転の車の進路及び速度から考えて被告運転の車を発見したのち直ちにハンドルを転じて道路の端近くを進行すべきであるにかかわらずこれを怠ったカーブ個所における運転操作の誤りという過失があるけれども、被告に、積雪時、カーブ個所における徐行違反、ハンドル、ブレーキ操作の誤りという過失があることは明らかであって、両者の過失割合は、原告若林三割、被告七割とみるのが相当である。

そうだとすれば、被告は、自動車損害賠償保障法三条により原告若林、同松藤の蒙った損害を、民法七〇九条により原告内山の蒙った損害を賠償する義務を負うこととなる。

三、(原告若林の損害)

(一)  ≪証拠省略≫によれば、原告若林は、前記傷害治療のため、昭和四三年一月一五日から同年同月二六日まで鹿児島県薩摩郡宮之城町屋地一、四六一番地鳥越病院に通院し、同年一月二七日から同年三月九日まで枕崎市尾辻病院に入院し、同年三月一八日から同年九月二〇日まだ指宿市国立指宿温泉中央病院に入院し、同年九月二一日から昭和四四年二月二一日まで同病院に通院し、同年二月二二日鹿児島市立病院に入院し、同年同月二八日同病院で第二頸神経後根離断手術を受け、同年四月一二日同病院を退院したが、右退院時障害等級一四級程度の右上肢脱力感の後遺症をのこして一応症状固定したことが認められる。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、原告若林は、治療費として、鳥越病院に六、二七八円、尾辻病院に八、五九三円、指宿温泉中央病院に三万五、〇五九円、鹿児島市立病院に四万四、〇〇七円、合計九万三、九三七円を支払ったことが認められ、右は、本件事故と相当因果関係のある治療費ということができる。≪証拠省略≫記載の治療費は、本件事故と相当因果関係のあるものかどうか断定し難い。

(三)  ≪証拠省略≫によれば、原告若林は、前記入院期間中相当額の雑費を支出したことが認められるとともに、そのすべてが本件事故と相当因果関係があるものとはいえないことが認められるので、本件事故と相当因果関係のある入院諸雑費は、前記入院期間一日あたり二〇〇円の割合で算出した五万六、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(四)  ≪証拠省略≫によれば、原告若林は、前記入院中の所用や通院のために相当額の交通費を支出したことが認められるとともに、そのすべてが本件事故と相当因果関係があるものとはいえないことが認められるので、本件事故と相当因果関係のある交通費は、尾辻病院入退院の交通費として一六〇円(鉄道賃)、指宿温泉中央病院通院費(入退院の交通費を含む)として前記通院期間中平均して五日に一度の割合で通院したものとみて、一回の通院につき三〇〇円(鉄道賃及びバス賃)を要するものとして算出した九、三〇〇円、鹿児島市立病院入退院の交通費として七〇〇円(鉄道賃及びバス賃)、計一万〇、一六〇円と認めるのが相当である。

(五)  ≪証拠省略≫によれば、原告若林は、本件事故当時原告内山が鹿児島県薩摩郡宮之城町で経営する宮之城自動車学校の指導員として雇用され月額四万円の収入を得ていたが、本件事故により昭和四三年一月末日退職のやむなきに至ったことが認められ、≪証拠省略≫によれば、原告若林は、本件事故後前記鹿児島市立病院退院までは前記傷害による頭痛が甚だしかったのとその治療のために稼働できず、また、右退院時には障害等級一四級程度の後遺症が残存していたことが認められるから、原告若林は、昭和四三年二月一日から昭和四四年四月末日までの一五か月間は毎月四万円の割合、昭和四四年五月一日から同年六月末日までの二か月間は毎月四万円に前記障害等級に応じた労働能力喪失率五分を乗じた二、〇〇〇円の割合で算出した計六〇万四、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失した(後遺症は、昭和四四年七月一日以降も持続したと考えられるが、この分の逸失利益は、請求がないから認められない)ものということができ、本件事故により右同額の損害を蒙ったものということができる。

(六)  原告若林の本件事故による慰藉料は、前記傷害の部位、程度、入通院の期間及び後遺症の程度から考えて、八三万円をもって相当とする。

(七)  従って、原告若林が本件事故によって蒙った損害は、総額一五九万四、〇九七円となる。

四、(原告内山の損害)

≪証拠省略≫によれば、原告内山は、同原告所有の前記破損車の修理代として九万二、四八〇円、同車の修理のための運搬代として一万七、三〇〇円を支払って右同額の損害を蒙り、また、同車を修理のため昭和四三年一月一五日から一〇日間使用できなかったことにより一日三、〇〇〇円の割合で計三万円の損害を蒙ったことが認められる。従って、原告内山が本件事故によって蒙った損害は、総額一三万九、七八〇円となる。

五、(原告松藤の損害)

(一)  ≪証拠省略≫によれば、原告松藤は、前記傷害治療のため、昭和四三年一月一五日から同年五月三一日まで鹿児島県日置郡伊集院町一、九四二番地本庄病院に入院し、同年六月一日から同年一二月三一日まで同病院に通院し、それで一応症状固定したが、昭和四四年九月二日現在の診断でなお六か月の加療を要する程度の頭部外傷後遺症が残存したことが認められる。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、前記本庄病院の治療費は、総額六一万九、〇二七円で、うち六〇万五、四八七円が自動車損害賠償責任保険金から直接支払われ、残り一万三、五四〇円を原告松藤が支払ったことが認められ、右は、本件事故と相当因果関係のある治療費ということができる。≪証拠省略≫記載の治療費は、本件事故と相当因果関係のあるものかどうか断定し難い。

(三)  原告松藤が前記入院期間中相当額の雑費を支出したことは容易に推認し得るところであるが、本件事故と相当因果関係のある入院諸雑費は、前記入院期間一日あたり二〇〇円の割合で算出した金額の範囲内で原告松藤の請求する額である一万五、〇〇〇円と認めるのが相当である。

(四)  ≪証拠省略≫によれば、原告松藤は、前記通院期間中平均して一週に一度の割合で通院し、一回の通院につき二〇〇円(バス賃)を要したことが認められるから、本件事故と相当因果関係のある交通費は、右の方法で算出した六、二〇〇円と認めるのが相当である。

(五)  ≪証拠省略≫によれば、原告松藤は、本件事故当時串木野市農協から野菜を仕入れこれを鹿児島市の朝市へ持って行って販売することを業とし月平均二万三、四〇〇円の純益(本件事故前三か月間に串木野市農協から仕入れた野菜の代金は、九九万七、一一七円であるが、その一割が荒利益でそれから原告松藤の自認する運賃、組合費、市場費等の経費月額九、八〇〇円を控除した残額(一〇〇円未満の端数切捨て))を得ていたが、本件事故により休業のやむなきに至り、昭和四三年一月一五日から前記後遺症の残存した昭和四五年二月末日まで稼働できなかったことが認められるから、原告松藤は、右月間純益に右休業月数を乗じて算出した計五九万六、七〇〇円の得べかりし利益を喪失したものということができ、本件事故により右同額の損額を蒙ったものということができる。

(六)  原告松藤の本件事故による慰藉料は、前記傷害の部位、程度、入通院の期間及び後遺症の程度から考えて、一〇〇万円をもって相当とする。

(七)  従って、原告松藤が本件事故によって蒙った損害は、総額一六三万一、四四〇円となる。

六、(過失相殺等)

(一)  さきに認定したとおり、本件事故の発生については、原告若林にも三割の過失があるとみられるので、これを斟酌し、原告若林、同内山の前記各総損害額よりそれぞれその三割を控除する。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、原告松藤は、かねて一週に二回被告の好意により被告が鹿児島市へ商品を仕入れに運転して行く車に同乗し串木野市農協へ寄って貰い野菜を仕入れこれを鹿児島市の朝市まで持って行って販売し、被告には車の燃料代として一往復につき三〇〇円を渡していたが、本件事故も、このようにして被告運転の車に同乗して鹿児島市に赴く途中の事故であることが認められ、右同乗が原告松藤の強要によるものであるとは認められないが、右のような常用型ないし好意型同乗の場合は、同乗者にその損害の全額請求を許すことは、信義則ないし倫理的感情からして妥当性を欠くものと考えられるので、前記同乗の目的、態様を斟酌し、原告松藤の前記総損害よりその三割を控除する。

七、(損益相殺等)

原告若林が本件事故により自動車損害賠償責任保険金五〇万円を受領したこと及び原告松藤が本件事故により自動車損害賠償責任保険金一一万七、九八三円を受領した(自動車損害賠償責任保険金は、原告内山保有の車につき五〇万円、被告保有の車につき五〇万円が支払われ、前者は、うち四五万五、四八七円を前記本庄病院が、四万四、五一三円を原告松藤がそれぞれ受領し、後者は、うち一五万円を右病院が、二七万六、五三〇円を加害者立替金として被告が、七万三、四七〇円を原告松藤がそれぞれ受領した)ことは、いずれも当事者間に争いがなく、原告松藤が被告から生活費として一〇万円を受領したことは、同原告の自認するところであるから、これらの各受領金員は、それぞれ原告若林、同松藤の各損害額から控除すべきものである。

八、(結論)

そうすると、被告は、原告若林に対し六一万五、八六八円、原告内山に対し九万七、八四六円、原告松藤に対し九二万四、〇二五円の各損害賠償金をそれぞれ右各金員に対する不法行為の日より後で訴状送達の日の翌日である原告若林、同内山については昭和四四年八月一日、原告松藤については同年一〇月九日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を附して支払う義務を負うこととなる。よって、原告らの本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条本文、八九条、九三条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 露木靖郎)

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